妻の一言

 東京から故郷に戻り、築110年の実家を改修して始めたデイサービス。この11月でちょうど3年が経過した。開業当初の3カ月は利用者ゼロ。文字通り閑古鳥が鳴いていた。当時のスタッフたちは口にこそ出さなかったこど「大丈夫だべか」と思っていたのは間違いない。当時の定員は7名。おそらく日本で一番小さなデイサービスだと思う。そんなちっぽけな介護施設が現在もなんとか続いているんだから、世の中捨てたもんじゃない。

 田舎に帰って介護事業を始める。そんな無謀ともいえる願望を抱いたのが今から10年ぐらい前だろうか。介護界のシーラカンス、カリスマともいわれている三好春樹さんにたまたまだ会ったことが始まり。この話をすると長くなるので割愛する。とにかく、三好さんとの出会いが、古民家の実家をベースに、広い庭や畑に田んぼを活用した介護の現場をつくるという夢を描くきっかけになったことは間違いない。

 事業計画や収支予算書を作成し、起業セミナーにも足を運び、着々と夢の実現に向けて準備を進めていた。と言いたいところなのだが、実はそうやっている自分に対して「本当にやるのか、やれるのか」という疑問と不安をぶつけてくるもう一人の自分がいた。そんな葛藤を抱えたまま、いよいよ東京から福島に転居することになる。当然のことながら、妻も一緒に来てくれるのだと思っていたのだが、これが違った。

 「私は行かないわよ」。この一言は効いたな。「え、来ないの」と絶句。「だって、友達もいないし。介護の事務なんてやりたくないし。そもそも貴方がやりたいことをやるんでしょ。だったら自分でやりなさいよ」。妻の言う通りだと思った。妻も一緒に来てくれるという期待は、身勝手な甘えでしかなかった。ということを思い知らされた一言だった。でも、その時からだと思う。「一人でもやる」という覚悟ができたのは。

 あれから丸4年妻とは別居中だ。でも、悪い関係ではない。と思っている。これもありだなと思う。「私は行かないわよ」といった妻も、2年前にコロナに感染したときには、同居の母親の世話に2週間も来てくれたし、この夏の畑仕事と登山で脱水となり入院した時にも来てくれた。覚悟が決まれば腹が座る。還暦を超えてからも起業。結局、妻が背中を押してくれたことになる。