歴史と文化の町 桑折?

 宮城県との県境に近い福島県伊達郡桑折町という小さな町が私の故郷だ。人口一万人ほど。かつては徳川幕府直轄の半田銀山と奥州街道羽州街道の分岐点として栄えた宿場町だったが、現在は往時の賑わいなど感じるすべもないほどに廃れた通りがあるだけとなった。シャッター通りという言葉があるが、そのシャッターを下ろした建物自体が消滅し、文字通り歯抜け通りとなっている。これは何も桑折町だけではなく、全国各地のローカルの町では当たり前の風景となった。

 そんなふるさとで介護事業を始めたのが4年前のこと。いまでは、毎日、その歯抜け通りとなった商店街に買い出しに行く。その日課の中でどうにも腑に落ちないというか、違和感を感じたものがある。それが通りに建つ街路灯の根元に書かれている「歴史と文化の町 桑折」という言葉だ。町のキャッチフレーズなのだろうと思う。しかもご丁寧に、通りの両側、交互に建てられた街路灯のすべてにこの「歴史と文化の町 桑折」と書かれているのである。

 「歴史と文化の町」と言われても、どこの町や村に行っても、その町や村の風土に根差した歴史と文化はあるわけで、桑折町にしか歴史と文化がないわけではない。隣の国見町にも、梁川町にも、保原町にも、伊達町にも、それぞれの歴史と文化はある。そもそも「歴史と文化」と言われても、一般概念の用語でしかなく、それが桑折町とイコールだと言われても、あまりにも空疎な話だろう。何より、このキャッチフレーズを、鎌倉市京都市奈良市、明日香村の近くで、言えるのか? と言いたくなったのは私だけ?。

 何かを言っているようで、何も言えていない。何も伝わらない言葉がある。政治家の決まり文句である「遺憾である」「スピード感をもってやる」「検討する」「総合的に判断する」などの文言は、聞き飽きたし、ただやってる感を出すだけの言葉だろう。「歴史と文化の町 桑折」も同じに思えてくる。結局、何も言えていない、何も伝わってこない。わが町の歴史と文化とは? もう一度、原点に戻り、魂のこもった言葉を創造することが、地域を見つめなおすことでもある。そこから地域づくりも始まるような気がする。歯抜け状態の旧街道を走るたびに、そう思うんだなあ。